「あの人は別格」を翻訳すると、再現可能なプロセスの未抽出が見える

真似できない仕事には分解されていない理由がある
「あの人の仕事は、やっぱり真似できないですね」。現場でこの言葉が出ると、会議室の空気が少し止まります。育成担当者は苦笑いをし、上司は腕を組み、本人は「いや、普通にやっているだけです」と言う。ホワイトボードには改善案が残っているのに、最後は「経験値が違う」「勘がいい」「場数がある」で片付いてしまう。これが続くと、組織は静かに損をします。なぜなら、本当は取り出せるはずの判断、順番、確認、声かけ、準備の仕方が、個人の中に閉じたままになるからです。
「別格」という言葉は、相手への称賛としては自然です。しかし、経営や人材育成の場では少し危険な言葉でもあります。別格と呼んだ瞬間に、その人の行動を観察する目が止まりやすくなるからです。営業であれば、初回面談の前にどんな情報を見ているのか。製造現場であれば、異変に気づく前に何を見ているのか。管理職であれば、部下に声をかける順番をどう決めているのか。こうした実務の細部こそが、成果を分けています。
「あの人は別格」を翻訳すると、「再現可能なプロセスがまだ抽出されていない」という意味になります。才能がないと真似できないのではなく、真似するための材料がまだ取り出されていない状態です。料理でいえば、完成品だけを見て「おいしい」と言っている状態に近いです。火加減、下準備、調味料を入れる順番、味見のタイミングを見ていなければ、同じ味には近づけません。仕事も同じです。成果だけを見て評価している限り、再現性は生まれません。
観察せずにマニュアル化すると失敗する
属人化をなくそうとして、いきなりマニュアルを作る会社があります。しかし、多くの場合、最初につまずきます。理由はシンプルです。優秀な人の頭の中にある判断基準を聞かないまま、表面の作業手順だけを書いてしまうからです。作業手順だけのマニュアルは、天気図なしで船を動かすようなものです。何を見て判断するのかが書かれていないため、少し状況が変わると現場が止まります。
例えば、営業のエースが「お客様の反応を見て提案を変えています」と言ったとします。この言葉だけでは、育成には使えません。どの反応を見ているのか。声のトーンなのか、質問の数なのか、沈黙の長さなのか、決裁者の名前が出たかどうかなのか。ここまで分解して初めて、次の人が学べる情報になります。
製造現場でも同じです。「なんとなく違和感がある」と言えるベテランは貴重です。ただ、そのままでは若手に渡せません。音が少し高いのか、振動がいつもより長いのか、部品の置き方が微妙にズレているのか。五感で拾っている情報を言葉に変えなければ、育成は「よく見ろ」「慣れろ」で終わってしまいます。
マニュアル化の目的は、優秀な人を平均化することではありません。優秀な人が無意識にやっている判断の入口を、他の人にも見える形にすることです。つまり、手順書を作る前に必要なのは、観察です。現場の空気、手の動き、視線の先、確認の順番、迷ったときの戻り方。そこを見ずに紙だけ整えても、使われない資料が増えるだけです。

ステップ1行動を録る
最初に行うべきことは、優秀な人に「どうやっているのか」を聞くことではありません。まず、実際の行動を録ることです。本人に説明してもらう前に、普段通りの仕事を観察します。なぜなら、人は自分が無意識にやっていることを、意外なほど説明できないからです。本人にとって当たり前すぎる行動ほど、言葉から漏れます。
録る対象は、動画でなくても構いません。もちろん許可を取ったうえで、画面操作を録画する、面談の流れをメモする、作業工程ごとに写真を残す、横で観察しながら時系列で記録する。方法はいくつかあります。大切なのは、成果が出た後に感想を聞くのではなく、成果が出る前の行動を残すことです。結果だけを見ると、勝因の多くを見落とします。
観察する項目は、次の4つに絞ると実務で使いやすくなります。
- 何を最初に確認しているか
- どこで手を止めているか
- 何を見て判断を変えているか
- 誰に、どの順番で確認しているか
この4つを見るだけでも、「仕事が早い」の正体がかなり見えてきます。実は手が速いのではなく、迷う前に確認しているだけかもしれません。実は説明がうまいのではなく、相手が不安になる箇所を先に潰しているだけかもしれません。実は勘がいいのではなく、過去の失敗パターンを早い段階で照合しているだけかもしれません。
ここで注意したいのは、観察を監視にしないことです。目的は評価ではなく、抽出です。本人に「あなたのやり方を組織の資産にしたい」と伝えたうえで進める必要があります。評価されると思えば、人は普段通りに動けません。逆に、自分の仕事が次の世代の助けになると分かれば、協力姿勢は大きく変わります。
ステップ2判断を聞く
行動を録った後に、初めて本人へ質問します。この順番が重要です。先に聞くと、本人はきれいに説明しようとしてしまいます。しかし、実際の行動を見ながら聞くと、「なぜここで止まったのですか」「この順番にした理由は何ですか」と具体的に掘れます。抽象的な質問ではなく、場面にひもづけた質問にすることで、暗黙知が言葉になりやすくなります。
質問は、責める聞き方ではなく、判断を取り出す聞き方にします。「なぜそうしたんですか」だけでは、詰問に聞こえることがあります。代わりに、「この場面で、何を見て次の動きを決めましたか」「他の選択肢もありましたか」「このサインが出たら注意する、という基準はありますか」と聞きます。これにより、本人の中にある分岐条件が出てきます。
特に重要なのは、うまくいった場面だけでなく、避けた失敗を聞くことです。優秀な人は、目立つ成果を出しているだけではありません。問題が大きくなる前に、小さな違和感を拾って回避していることが多いです。ところが、回避された失敗は数字に残りにくいため、周囲から見えません。ここを言語化できると、育成の質が変わります。
例えば、管理職が部下に強く言わずに済んでいる場面があります。本人に聞くと、「この人は朝の時点で表情が硬かったので、午後に確認しました」と返ってくるかもしれません。これは単なる気配りではありません。相手の認知負荷が高い時間帯を避け、受け取れる状態で伝えているという判断です。こうした判断を取り出せば、コミュニケーションの型として共有できます。
ステップ3成果との関係を見る
行動と判断を取り出したら、次に成果との関係を見ます。ここを飛ばすと、単なる「その人らしいやり方」の紹介で終わります。組織に残すべきなのは、成果に関係している行動です。本人のこだわりすべてを標準化する必要はありません。むしろ、全部を真似させようとすると、現場は窮屈になります。
見るべき成果は、売上だけではありません。営業なら商談化率、提案後の返信率、失注理由の質、紹介の発生数。カスタマーサポートなら一次解決率、再問い合わせ率、対応時間、顧客の不安が下がるまでのやり取り回数。製造なら手戻り件数、異常検知の早さ、確認漏れ、引き継ぎ後のミス。職種ごとに成果指標を置き直します。
ここで役立つのが、「行動」「判断」「成果」を並べる見方です。例えば、営業エースが商談前に顧客の採用情報を見ていたとします。それが単なる習慣なのか、成果に関係しているのかを確認します。採用情報を見ることで、成長フェーズ、人材課題、投資意欲を読み取り、提案の切り口が変わっているなら、それは再現すべき行動です。
一方で、本人のこだわりでも成果に関係しないものは、無理に標準化しません。資料のフォント、机の配置、細かな言い回しなど、本人のリズムとしては大切でも、他者に強制すると負担になるものがあります。優秀な人の全コピーを作るのではなく、成果に効いている要素を抽出する。この線引きが、実装で失敗しないためのポイントです。
あなたの組織で、感覚的に「すごい」と言われている仕事を、3つの観点で確認してみてください。
- その人が最初に見ている情報は何か
- 判断を変える分岐点はどこか
- 成果に結びついている行動はどれか
この3つが答えられない場合、その仕事はまだ才能として扱われています。逆に言えば、ここが見えれば、育成や業務改善に変えられます。
ステップ4小さく試して定着させる
抽出したプロセスは、いきなり全社展開しないほうがいいです。最初は小さく試します。1人の若手、1つのチーム、1つの業務に限定して、抽出した行動を使ってみます。ここで見るべきなのは、完璧に真似できたかどうかではありません。実際に使ったときに、どこで迷うか、どの表現が分かりにくいか、どの判断基準が現場に合わないかです。
たとえば、営業同行のチェックリストに「相手の温度感を見る」と書いても、使えません。温度感とは何かが人によって違うからです。代わりに、「相手から具体的な社内事情が出たか」「比較対象の名前が出たか」「次回参加者の話が出たか」といった観察可能な項目にします。これなら、経験の浅い人でも確認できます。
定着させるには、資料を配るだけでは足りません。実務の中で使う場面を決める必要があります。朝会で1項目だけ確認する。商談後の振り返りで、判断基準を1つだけ共有する。週1回、ベテランと若手で同じ案件を見て、どこを見て判断したかを比較する。こうした小さな運用に落とすことで、プロセスは初めて現場に残ります。
ここで重要なのは、仕組みを重くしないことです。立派な育成制度を作ろうとすると、準備だけで疲れてしまいます。最初は、A4一枚の観察シートでも十分です。毎週10分の振り返りでも構いません。大切なのは、優秀な人の頭の中にある判断を、少しずつ外に出し、現場で試し、修正していくことです。
属人化を責めずに仕組みへ変える
属人化という言葉には、少し責める響きがあります。「あの人にしかできない状態が悪い」と言われると、優秀な人ほど複雑な気持ちになります。自分が頑張ってきた結果なのに、まるで問題の原因のように扱われるからです。ここを間違えると、知見の共有は進みません。
本来、属人化は悪ではありません。最初は誰かの工夫から始まります。現場で困り、試し、失敗し、少しずつ磨いた結果として、その人独自のやり方が生まれます。問題は、その工夫が本人の中だけに残り続けることです。つまり、責めるべきは人ではなく、抽出する仕組みがない状態です。
経営者や管理職に必要なのは、「なぜ共有しないんだ」と迫ることではありません。「そのやり方のどこが成果に効いているのか、一緒に取り出したい」と伝えることです。優秀な人の誇りを守りながら、組織の資産に変える。この順番を間違えない会社ほど、育成が進みます。
「あの人は別格」という言葉が出たら、それは諦めの合図ではありません。むしろ、組織にまだ取り出せていない知見が眠っている合図です。見えていないプロセスを観察し、判断を聞き、成果との関係を見て、小さく試す。ここまで進めると、才能に見えていたものが、少しずつ育成可能な構造に変わります。
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